見応えあります!

その名も「BEST OF TONI BOU」
http://www.dailymotion.com/video/x44bia_best-of-toni-bou_sport
リアタイヤの接地面は自分の足の裏並みの感覚があるとしか思えません。


一方、私の「接地面感覚」は無いに等しいです。(苦笑)
今は、「リアタイヤがちょうどグリップの良いところに差し掛かったはずだから、スロットルを開けよう」てな感じの操作ですし、数十センチ程度の誤差は常に生じているはずです。
ましてや、クラッチ・スロットル・ブレーキ・アクションが「だいたいこんな感じだろう」ですから、乗り方そのものが「当てずっぽう」なんですね。


私にとってリア接地面を感じにくい最大の理由は、「接地面が体の後方に位置していること」。
目で見たポイントに実際にリアタイヤの接地面が到達するのは、自分がそのポイントを過ぎた後になるというタイムラグや位置的なずれ。そして直接見ることができないという、3つの違和感が拭いきれず、未だに私の感覚が馴染めません。


そしてもう一つの理由は「接地面からの情報が分かりにくいこと」
シートに座っているならまだしも、スタンディング姿勢ではなおさら情報が乏しいです。
これは、単に地面の凹凸やグリップを感じるのみならず、クラッチやスロットル、ブレーキ等の操作に伴うフィードバックも同様です。


思うに、「接地面感覚」というのは、「手探り感覚」+「パターン処理能力」なのではないでしょうか?


つまり、ここで取り上げている「手探り感覚」とは、目をつぶり、手を前後左右に動かして手の平に感じる感触から対象の特徴を認識する、あるいはイルカやコウモリが音波によって対象を認識するように、トライアルの場合はバイクを操作した結果返ってくるフィードバック情報とその分析能力がそれに該当します。
そして、「パターン処理能力」とは、過去に遭遇した似た状況と照らし合わせて、その時の経験から操作を絞り込んで決定するものです。


とすれば、「接地面感覚」の正体とは、タイヤの接地面に感覚器官がない以上、その感覚に代わるものとしての、「操作にともなう車体からのフィードバック(音や、振動、前後上下左右への加速感等)の感覚」や、「過去の良く似た操作経験の積み重ねによって描き出すイメージ」によって構築された「擬似的感覚」なのだろうな、と想像します。


要するに、「接地面感覚を意識しながら、バイクの操作にともなうリアホイールからのフィードバックを繊細に感じ取って体で記憶することの積み重ね」が「接地面感覚」を生み出すのでしょう。


という仮定に従い、今後は常に「接地面感覚」を意識しつつ、より細やかな操作とフィードバックの繊細な受け止めを心がけて走りたいと思った次第です。